幸せで楽しい人生を過ごしましょう。
プロフィール
Sです。
メインはサラリーマンでありますが色んな顔を持っています。
投資家、副業マン、起業家、サウナー、柔術家(?)、ランナー、腰痛キャリア、夫、父などいろんな顔を持っています。幸せに人生を送るために生きています。
生い立ちです。警察官の父親と専業主婦(のちにパート)の母親の両親から1970年に生まれました。地方都市で小中高を過ごしました。普通の子供でした。勉強も普通。スポーツも普通。野球、ラグビーなど部活に打ち込むの毎日でした。高校時代、残念ながら花園には行けませんでした。そして受験。運よく合格。地方国立工学部出身。大学は6年通いました。大学院には行ってません。6年の大学生活ではうち合コン行ったり、ワーキングホリデーでオーストラリアに行ったり、車で日本一周したり、教育実習したり、お酒飲んだり、踊ったり、などなど。人より2年多く通った以外は普通の大学生でした。そして社会人へ。
大手メーカの工場に就職しました。(先生にはならず、、)また地方都市です。ただ実家に近いところでした。そこでは技術者として色々と学びました。工場ということもあって、苦手な現場の班長やオペレータもいましたが、大事な同期や先輩などと頑張って仕事していました。いつも22時くらいまで実験したり設備立ち上げたりして働いていました。今思えば毎月60時間以上残業していました。疲れたらサウナに行くことも社会人になって覚えました。
またそこでは同僚であるエンジニアの彼女が出来ました。彼女とは結婚しました。結婚後女の子も生まれました。結構いい家も建てました。なかなか幸せな日々を送っていました。ラグビーチームにも所属して試合にもでていました。フルマラソンも毎年出ていました。ただ出るだけでしたけど。仕事、スポーツ、家族とほんとに充実していました。二人目の女の子が生まれて妻が育休に入っている時に人生を変える事件が起きました。工場の閉鎖が発表されました。30代後半でした。人生を変える大事な判断が必要となったのです。辞めるか別の工場に移動するか?移動っていっても東北で超遠いところです。お先真っ暗とはこういうことです。家で寝る前に家族の顔を見ると不安で不安で押し潰れそうでした。妻は「私は女性技術者だから今の待遇で別の場所で働くことは不可能だ。だから別の工場へ行こうと思う。」と。自分にはそこの工場はあまりにも遠すぎました。またこれからのことを考えると同じ業種でうまく行くのだろうか?また閉鎖するのではないだろうか?大手とはいえ、このような仕打ちをした会社にも嫌気がさしてきました。どうしてもその工場で働く判断が出来ませんでした。妻には一緒にやめよう。と言って妻には理解してもらい二人とも辞めました。同僚とも離れ離れになりました。予想通り妻は同じような待遇で仕事は見つかりませんでした。妻は自分よりずっと優秀だったんですけどね。
自分は何とか仕事見つかりました。関東に単身赴任です。
転職先では、研究所での仕事でした。いろんな実験してました。夜遅くまで働きました。なかなかハードでした。そこには嫌なサイコパス上司がいたりして、、、家に帰れば独りぼっち。その時は会社行きたくありませんでした。なんでここまでして働かないといけないのだろう。と思ってました。
妻は自宅に残って幼い子供達を一人で育てていました。身内は近所には誰もいません。自分の給料だけで2世帯生活は厳しくパートをしていました。なかなか大変だったららしく割に合わないと言っていました。やはり大手は好待遇だったみたいです。
家族と離れている状態で希望の持てない単身赴任生活、仕事ハード。スポーツも出来ず、状況を改善出来ずで酒量が増えてきました。そこでもサウナでこころは整えていました。
そこで初めてお金について考えました。お金があれば子供も母親と一緒にいれる時間ができる。また家族と住めるようになるとか仕事も変えられるかもとか考えました。
よしFXだ!単純ですけど。仕事も多忙だったので自動売買のFXの魅力を感じました。口座作ってサーバー借りてEA買って始めました。MT4自動売買すごかったのです。100万円くらいつっこんで3000~6000円/日は稼いでくれました。10万円/月くらい稼いでくれていました。また会社での仕事運もよくなってきました。勤めている会社の工場が家族が住んでいるところから車で行ける距離にできたのです。おまけにそこの工場勤務へ異動となりました。そして会社が準備してくれた社宅に家族引っ越して一緒に住むことになりました。FXでお金を生んで、家族も一緒になり、また幸せな時間が始まりました。ただ前の家のローンが残っています。また子供には転校を余儀なくされ、妻はパートをやめました。妻の仕事辞めていいと思っていました。彼女の人生をこちら方向に変えてしまった責任が自分にあるって思ったからです。同じくらいのタイミングで人生初の腰痛です。ぎっくり腰です。1週間動けませんでした。だんだん加齢や運動不足や体重増による体の劣化がひどくなりました。
給料とFXのお金で、誰も住んでない家のローンも払えたし、家族との生活も復活した、幸せでした。
しかしいいことは続きません。安倍さん2回目の総理になった時に、円安ドーン!FXのお金が無くなっちゃいました。俗にいう溶けたってやつです。200万円くらいなくなりました。それくらいのタイミングで家も売れました。いい家だったので売ると決めたらすぐ売れました。ローン払っておしまいでしたけど。
仕事も忙しかったけど仲間も増えました。サウナは継続して行っていました。またフルマラソン大会も復活して出始めました。FXは懲りたので別の新たな投資もはじめました。贅沢ではないけれどそれなりに幸せです。ぎっくり腰は1回/年くらいはありますけど。
ただ幸せはいつまでも続くことなないだろうと漫然と思ってます。だれも守ってくれません。心の奥でいつ会社が裏切るか?体が動かくなくなるか?不安。。とまでは行かなくてもこのままの通りには行かないだろう。と。
自分は体験しました。会社は自分たちを守ってくれない。会社行きたくなる時もある。体は壊れる。投資はうまく行くときもある。家は無くなる。自分の人生を守れるのは自分だけだ。
残り半分の人生、幸せに過ごしたい。
幸せな人生とはなんだろうか?
安心できる生活を過ごすこと。自由に動けること。
安心できる生活とは、経済的な自由があること。家族や友達と楽しく過ごすこと。
自由に動けるとは、健康な心と体で、やりたいこと、楽しいことをすること。
経済的自由には元気よく働くことと、お金を働かせること。そのために色んなことをやってます。
健康な体を得るために、ブラジリアン柔術を始めたのです。ブラジリアン柔術はとっても楽しく自分の人生を大きく変えました。健康に生きていくためには、運動大事なんですね。
幸せな人生を過ごしている過程をみなさんに共有したいと思います。